ハマノパッケージ物語

数々の迷いの中進む道を見失った低迷期

ハマノパッケージ物語 50年代後半から業績も頭打ちになり、
「これからの貼り箱屋はどうなるのか、当社はどの方向へ進むべきなのか」
と開は迷い、 今後の会社の方向性の見直しを図った。

様々な経験や勉強を通じて開はいろいろな問題・障害を一つひとつ解決していった。
その中で開が学んだことはダンボールと貼り箱が得意先に対して
当初メリットであると思われたが、その方法は必ずしも効果的では無かった。

異色であるにもかかわらず同一敷地内で運営することの非効率さ
いわゆるムダ・ムリ・ムラを排除・改善することが最優先と判断した。

その結果、事業を貼り箱製造部門に絞りダンボール製造部門を撤退する決意をし、一旦会社を解散し整理した。
開は最大の苦境に立った。

その後“真心を包む化粧箱”をキャッチフレーズにし、
着実に得意先の安心と消費者のニーズをしっかり満足させるため紙器容器高級貼り箱製造を目的とした
会社新鋭「株式会社ハマノパッケージ」が誕生した。
昭和62年の6月であった。

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