ハマノパッケージ物語

創業そして箱作りが軌道にのりだした好調期

ハマノパッケージ物語翌年10月には濱野開が代表者となり(有)濱野紙器工業所を創業、
従業員も集まり、仕事も少しずつ増えていった。

昭和33年に開の義兄である吉田喜八が父・定次の呼びかけにより入社してきた。
前職の経験を活かして経理を担当し、開の側近として専務も受け持った。

その後、大手百貨店からの風呂敷用の函の注文を受けはじめ、 省力化と
スピードへの夢・望みを持ち各地を巡り3年後には半自動貼り箱機を導入した。

昭和35年ダンボール製造部を増設し大手紙器会社の下請けを開始、
貼り箱製造部、ダンボール製造部と分業制で業務を行った。
社員もますます増えていき、住み込み5名、通勤10名で徐々に活気が出てきた。

昭和42年ハマノパッケージに前工場長段林儀廣が入社してきた。
お客様の無理難題の要望に昼夜を問わず徹底的に応えた。
開は社長業兼営業職、段林は製造の全責任を担い約20人の社員を盛り上げていった。
この時期工場敷地も240坪と次々に拡張し、工場増設を進めていった。
昭和50年代には社会の好調がやや落ち着き、「良いものを安く」と競争の視点・観点が変わり、
当社もコストダウンを余儀なくされた。
そこには競争が並行してあり機械の増設やの精鋭への設備の投資を継続的に行う必要があった。
貼り箱機も半自動機の導入で大阪大手の文具会社の幼児用文具や、
大手化粧品会社の高級化粧品のギフト用ケースにと貼り箱の受注に成功した。
一方ダンボールはフレキソ印刷機の導入による一般市場への挑戦もした。
また、この頃から「良いものへ」と差別性を追及するために社長自らが包装士の免許を取り、
新製品開発に力を入れ始めた。

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