ハマノパッケージ物語

リヤカーを牽いて家業を手伝った学生時代

ハマノパッケージ物語昭和29年3月世の中は戦後、
落ち着始め産業発展へむけて国を挙げて再スタートの時期、
濱野定次(現会長の父)は副業として自宅敷地内にて
シャツや肌着を入れる函を作り創めた。
2年程経つと得意先もだんだん増えていった。
当時濱野開(定次の次男・現会長)は工業高校在学中で学校が終わってからは
工場を手伝い、 配達に行っていた。
当時は配達の手段としてはリヤカーが主であり姫路市内までの約二時間、
リヤカーを引きながら配達し帰宅すると夜遅くになるという生活を続けていた。
「もっと上手く早く作れるようになりたい」開はこの業界への夢を強く抱くようになった。

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